>>不登校さんのごはん、どうしてる?

不登校6年目、なんとか高卒になれそうです。

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全日制高校に在籍しているわが子、卒業できるかどうかなかなかわからず母は悶々とした日々をすごしておりましたが

この度、卒業できることになりそうです。

学校の先生方、病院の先生方、そのほか娘だけでなく私も含めかかわってくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

ひとまず、目標にしていた

「なんとか高卒に・・・」

という1つのラインに達することができ、感無量であります。

長い不登校生活、いろいろなことがありました。

諸事情あり、過去記事は削除してしまいましたが長い闘いを読んできてくれた読者の方々に卒業の報告ができることは大変うれしく思います。

6年目とは言っても、彼女の場合1年は何事もなかったように行っていた時期があるのでトータルでは5年ということになります。

どうしても全日制高校に進学したい。この学校に受からなければ死ぬ!と言う彼女と過ごした受験期から高校生活は生易しいものではありませんでした。

中学3年生、受験生ですがどんどん状態が悪くなる。勉強なんてほぼやってない。生きるか死ぬか。送って行っても降りれない。仕事の合間に送迎。全日制にこだわるなら、勉強しなさいと言わないわけにはいかず親子ともどもいっぱいいっぱい。

全日制私立専願。専攻は音楽。立派なラッパも買いました。

3年間不登校じゃなかったわけじゃなかったのが良かったのか、実技試験のおかげもあってか、本人が希望する全日制高校に合格しました。(正直ビックリしました。中学の職員室もザワついたと聞きました。)

お望みの普通の高校生になれたわけです。

オシャレなブランドものの(たぶん)制服に身をつつみ、バイトやりたいから!というそれだけで半年分の定期を買い、高校生活がスタートしました。

自分で行きたいと言って入った学校だからちゃんと通うのでは・・・

という期待はしていました。実際最初は起こさなくても起きて、早い時間に家を出ました。学校帰りに新しい友達と遊んだりもしていました。

気のせいでした。1週間で折れました。

ビックリしました。ガッカリしました。

もうそこから先生と電話でガッツリやりとりが始まりました。

先生も来ると思ってたら急に来なくなったからショックだと言っていました。

高校生で行けなくなってから

何度も話し合いました。

まず最初に折れたときに、すぐ学校に相談しました。別室登校ができないかすぐ聞きました。

こちらから聞かなければ学校からはすぐには提案はなかっただろうと思います。実技試験も最初はみんなといっしょに受けれないかなという提案もありました。

試験のたびにいけるかどうかのせめぎあいから、学校側にもご配慮いただき実技系の試験は別日にしていただいたり高校には本当に良くしていただきました。

通信制高校に転学するという選択肢ももちろんありました。

うちの場合は高校が手厚かったこともあり、変わるリスクと変わらないリスクを天秤にかけた結果まずは入った学校でがんばってみようという話になりました。そのためにできるフォローはするとも言いました。

高校生は出席日数が重くのしかかります。テストで落とすと留年します。トータルでなんとかすればいいのですが、なかなか大変でした。

受査回数の縛りもあり、定期考査があるたびに市外まで車で送って行く。車内はお通夜みたいな空気です。ふてくされてるならマシなほうでさめざめと泣かれるのは本当に地獄でした。

1年を通してだいたい1学期は死にそうな顔をしてて2学期くらいからマシになるという流れでした。状態が良くなってきたら勉強教えたり、送って行く途中で歌を作って覚えさせたりとか(笑)

1年生のうちはまだ中学の貯金で対応できる問題もあったようですが、学年が上がるとどんどん厳しくなりました。

1年生から上がるときはギリギリ、2年生のときは急なコロナ休校でどうなるかと思いましたがなんとか進級。そして今回卒業というはこびになりました。

転学の選択肢は学年の前半は常にありました。

後半になるともう一気に一年分やるのは大変だから今の場所で頑張る方がいいのでは?などと現実的な話をしながら。話し合いするのは対面でやるとケンカになるのでだいたい長距離ドライブに行って二人とも同じ方向を向いた状態でやりました。

勉強はほおっておくと全然しないので試験範囲を見て先生に足りないプリントをお願いしたりするのは私がやりました。学習計画も立てるのは私。まったく計画通りにはいかず。試験のたびに集中と選択。

偏差値が高いクラスではないのでまだ教えることができたけど、偏差値高いところだったら教えれなかったと思います。くさっても高等教育。だんだん難しくなってくる。やはり選択と集中。化学の時は、自分のポリシーをまげてわたしが課題をやったことをありました(答えがなかった・・・)。今ならセンター受けれるなと思いながら教えたものです・・(今年から共通テストですけど)。答えがない課題は地獄でしたね・・。頼んだらもらえる先生もいましたけど(笑)

あとは音楽専攻で授業受けずに別室登校だけど私が理論とか歌とかの実技系の試験の対策を見れたのが大きかったです。先生のレッスンをもっと受けてほしかったけど、お母さん先生が教えることでなんとかできました。

美術とかだったらムリでした・・・。

そんなこんなで時折声を荒げながらなんとか3年間が過ぎました。

年々状態は良くなっていきました

1年生のときから考えるとじわじわじわじわではありましたが、彼女の状態は少しずつ良くなっていきました。もちろん右肩上がりなんてことはなく、上がっては下がり上がっては下がりの繰り返しです。

でも全体で見ると、すこしずつ良くなっていったなぁと思います。

相手は思春期真っただ中のこじらせ中二病患者なのでいろいろ大変なこともあったし、今でもそうなのですが長い目で振り返ると良くなっていったなと。

課題を出すように言ってください、次はいつ来れますか、カウンセリングは必ず受けてください。

間に入るのは負担でした。

とりあえず終わりが見えてきました。

あとは卒業式までに礼服が余裕をもって着れるように減量ですかね。

疲れました、本当に。

まだまだ不安はあるけれど

ひとまず目標にしていた高卒にはなれそうなので一区切りついたなぁという感じです。

今後は今までのようなご配慮はないので、まぁがんばってと話しました。

もうダメだったらそこで終わりのつもりです。

早く感染症が落ち着いて、実りある学生生活を送ってもらえたらと思いますがあまり期待せずに遠巻きに見ておこうと思います。

ひとつ間違いないのは、もう私には課題の手助けはできないってことです(笑)

おしまい!

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